“やったもん負け病”の正体が見え、風土が変わった~新サービス開発が進まない風土を変えた組織開発~

*ある中堅ゲーム会社の事例を元に物語化しています。

手が上がらない組織の重荷になっているものを紐解いていく

▼ポイント

「やったもん負け」の風土の裏にある“組織のトラウマ”を紐解く

▼期間 7ヶ月

▼プロセス

フェーズ1:安心安全の場から生まれる新サービス開発ワークショップ
フェーズ2:手があがらない構造を乗り越える組織開発

Close up Story  誤解されていた社長肝入プロジェクト

いいアイディアが生まれても、やります!という手が上がらない

あるwebサービスを生業とするC社の新サービス開発担当者は、思ってもみなかった課題に直面していた。 

C社はゲームやクリエイティブ領域、コンテンツやサービスを提供して大きくなった会社だ。ここ最近は、みんな忙しく働いているものの、マイナーチェンジは上がってくるが、第2の柱、第3の柱となるコンテンツやサービスは出てこなかった。そのような状況下で、ToBeingsと共に、非日常から新規事業立ち上げのアイディアを生み出すセッションを開催することになった。

最初のセッションは、ファンイベント的な要素を持たせ、グループを組んでワイワイガヤガヤ考えるセッションだ。事務局は、発想力がないからとか、飛躍した発想ができないのではないかと心配していたが、安心安全の場を作り、批判されない構造を作ったら、実際に、本気でやったら面白そうというアイディアが生まれた。

しかし、そのアイディアを実際誰がやるのかという話になった途端、急に場が冷えてきた。場がシーン……と固まる。やりたい人を募集したところ、誰も手をあげなかったのだ。そして、後日担当者を募集しても、他薦しか名前が出ない。「じゃあ、他薦の人から」と事務局がお茶を濁そうとしたところ、この沈黙自体に意味があるはずだと声をあげ踏み止まって、この「手があがらないプロセス」を探求する取り組みが始まった。

やったもん負けの文化を紐解く

そこから、「手が上がらないこと」そのものを理解するため、様々な関係者と対話やインタビューを行なった。すると出てきたのは、メンバーの中に厳然と信じられていた「やったもん負け」の文化だった。それは単なる思い込みだけじゃなく、実際のある出来事が元となって神話*のようになっていた。

それは、退職したAさんが立ち上げた新規事業の話。Aさんが一人で声を出して立ち上げた。立ち上げ当初、勢いがある時は、も集まり役員もサポートするが、途中壁にぶつかり停滞し始めると、次第に会議に参加するメンバーが減っていく。役員も内部の会議から姿を消し、全体会で「見込みがない」と詰める側に回っていく。しまいには、社長一人がAさんを呼び出し説教をする。結局彼は、事業が頓挫した責任を取って辞めさせられてしまった。そこから、「新しいことを初めても上は勝ち馬に乗るだけで、ダメになったら尻尾を切られるなら、既存事業でそこそこ評価されることをする方がずっとまし」そんな負の教訓が、スタッフには刻み込まれていたのだ。

会社への信頼がこの状態では何も立ち上がらない。何よりメンバーの言葉のはしばしに、社長への反感やチャレンジを感じた橋本は、その時のことを社長にちゃんとぶつけてみようと提案した。

*組織の神話:みんなが繰り返し語る過去がある場合、その過去をToBeingsでは、組織の神話と呼んでいる。否定的な過去がみんなの心の中にわだかまったままだと、それがあたかも組織のトラウマのように作用することがある。

聞かれることのなかった社長の声を紐解く

メンバーのストーリーを聞いたところ、社長は唖然とした顔をした。「いやいや!むしろ私は、最後までサポートをしていたんだ!役員の方が逃げ出した。」

社長の話を受けとめながら、さらに焦点を絞って問いかける。

「なるほど、想いを持ってサポートされていたんですね。でもどこかで、同時にでも、周りから見ていると、支援と言いながらも違うエネルギー感で伝わっていたようですが、そう言われてどうですか?」

「うーん…。もちろん、第二の柱の必要だったし、自分も力が入っていたことは、間違いないな。」

対話しながら、だんだんと内省を深めていただく。

「本人には伝わっていたかもしれないが、周りからすると、責任も追求され、一番頑張ったのにもかかわらず、一番詰められていたという風に見えていたみたいです。それは、どうですか?」

「…。確かに、自分の思いも強すぎて、責任をぶつけてしまったところもあった気がする。」

「その思いの強さというのは…?」

「みんなのために、会社のために…、新しいものを生み出さないといけないというプレッシャーがあった。もしかしたら、プレッシャーを彼一人に請け負わせていたのかもしれない…。」

社長の消え入るような声の先にある沈黙は、言葉以上に雄弁で、社長が雇用を守る立場にあるプレッシャーの中でAさんをサポートしきれず、事業を作り上げることができなかった痛みや不甲斐なさ、悔しさが部屋全体に伝わってきた。

メンバーだけの場の感想は様々だった。社長のこんな弱々しい姿を見たのは初めてで驚いた。「過去は過去、これからはこれから」という気になったという人。いろいろあっても、社長が支えようとしていたことだけは受けとめたという人。そして場全体に、「この場が安全じゃないというわけじゃないかも」という雰囲気の変化があり、「やったもん負け文化」の雪溶けを感じた。ようやく新規事業開発スタートに立った。

動き出したその後

この対話を踏まえて、「やったもん負け」の壁をどのように超えていくべきか、組織全体にフィードバックされた。エグゼクティブコーチを通してトップの新規事業への関わり方もより柔軟になり、戦略策定プロセスもより柔軟に柱を生み出しやすい評価制度に変わっていった。何より、ハッカソンによって生まれたアイディアも、周りのサポートを得ながら動きだした。

 <組織心理的な視点からの事例解説>

このケースを単純化すれば、個人と組織の複層的な心理的構造があります。

▼個人の心理構造

社員の皆さんの普段のキャラクターは、「既存サービスの改善に注力する人」でしたが、ワークショップでの安全で楽しい場作りの介入を通して、日常では見られなかった「新しいサービス創りを楽しむ人」のキャラクターが立ち上がりました。

しかし、いざ実行する機会が現れた時、「自分にはそんな力がない」「社内調整が大変で、報われなさそう」という心理の壁が現れました。

▼組織の心理構造

上記のような心理的な壁は一般的なものですが、組織全体であれば数人は手を挙げてもおかしくありません。「シーン」と、誰も手をあげず空気が凍てついた瞬間に、組織の方の心理的な壁に大きなタブーがあることが予想されました。実際に募集しても「新しいサービス創りを楽しむ人」が1人も現れず、組織心理的なものが働いていることがわかりました。

その「シーン」にある心理的な壁を深掘ると、過去の痛みの歴史(≒組織のトラウマのようなもの)が見えない重荷となり続けているのがわかりました。

痛みの歴史は、オープンに語られて反省されることがまずありません。それゆえに、「新しい事業創り」のチャレンジに対して、うまくいくと皆が「勝ち馬にのり」、事業が下降すると「梯子を外されて終わった」という偏ったストーリーが伝染してしまっていたのです。

▼やりがちな働きかけ 

多くの場合、組織にただよう「空気」へ向きあえず、個人への介入(個別に背中を押す)をしたり、トラウマを無視して制度の力(評価や褒賞など)を使おうとしたり、癒しを伴わない介入(社長から全社員への事情説明メール)がされることが多いと思います。その結果、組織全体の意識変化がないため、同じことを繰り返しがちです。

▼介入(実際)

紛争解決のファシリテーションの技術を生かして、重石となっている組織の心理的な壁の解きほぐしに慎重に取り組みました。

具体的には、社長や関係者がいるところで、現場の皆が感じていた「シーン」の裏側にある痛みの歴史を語ること、社長の側の物語や痛みの歴史を語ること、そして、互いに痛みを受けとめ合い、残っていた疑問を対話的に解消し合うというものでした。

その結果、初めて経営と現場の思いが繋がり、心理の壁が溶けていきました(完全な解消ではないが、その後少しずつ現実に結びついていった)。